コスキン・エン・ハポン公式サイト

コスキン・エン・ハポン2019のゲストと審査会

コスキン・エン・ハポン2019の締め切りが7月末に終了して出演者が決定しました。過去最高の210演目です。

終了時間がかなり遅れてしまいますので、スムーズなステージ運営にご協力願います。

ゲストは次の方々です。

カロリーナ・ペレリティ(アルゼンチン)

ラウル・オラルテ(アルゼンチン)

La Doble D(アルゼンチン・ドイツ在住)

イルパウィ(ボリビア)

MAYA

秋元・岡田・桑原トリオ

TOYO草薙

DAIJITO Y SU CHARANGO

小川紀美代

桑原しんいち

高山直敏&塩満友紀

 

日本代表審査会出演者の方々です。

DUO SANO

Nueve de abril

Salamimari

山田あずさ

EL MUDO

 

 

郵送で送ってくれる方へお知らせ

用紙をダウンロードをして郵送で申し込みを送ってくれる方は、コンフント紹介文を別紙にて書いてください。様式は問いませんので250字以内でお願いします。

コンフント紹介の様式はHPにはございませんでした。よろしくお願いします。

コスキン・エン・ハポン申し込み

コスキン・エン・ハポンの申し込みが7月31日までになっております。まだ申し込みの住んでいない方はお早めにお願いします。31日到着分までしか受付しませんので余裕を持って郵送願います。

また、webでの申し込みは31日午後11時59分のスタンプまでです。それ以降のメールでの受け付けもお断りいたしますのでご了承願います。

ボランティア

本日、秋田大学からうれしい電話が来ました。今年もコスキン・エン・ハポンでボランティアの協力をしたいとの事です。2日目10時から16時までの6時間を秋田大学生が誘導を担当してくれます。

その他、筑波大学を含めた首都圏の関東フォルクローレ交流会の皆さんが3日間マイクセッティングに当たってくれます。

また、コスキン・エン・ハポン関東支部(勝手に名前を付けております)の有志の皆さんがインフォメーションコーナーを運営していただきます。

このように皆さんの目に見えないご協力がありコスキン・エン・ハポンが開催する事が出来るのです。

心より御礼申し上げます。

Adios Argentina 4 帰国

 

ついに、今回のとてつもなく充実をした短い旅も終わりに近づいてきました。午後4時に日本大使館を出て、ブエノス発20時50分まで時間があると言う事なので、カミニートまで足を延ばしてきました。ここは、アルゼンチンタンゴの発祥の地と言うことで観光地として一度は訪れるところです。たくさんの観光客がおり、その客を目当てにお土産店もぼったくりの値段設定をしております。でも、若いお兄ちゃんにはまけてくれてどこの国でもイケメンには弱いことがわかりました。そして、無事翌々日の15時成田空港に着き20時川俣町中央公民館で帰着式をして解散になりました。

今回の視察でお世話になった、スキャレッティコルドバ州知事、ガブリエル・ムッソコスキン市長、水溜ガブリエルさん、玉城さん、比嘉さん、福嶌教輝日本大使、ファン・カルロスさん、ホアキンさん、ラウル・オラルテさん、ミルタ・アルバレスさん、今野添乗員、ガイドの宮代さん、福島民報社村田支局長、福島民友新聞社折笠支局長、その他多くの方のご支援ご協力のおかげで無事コスキンミッション派遣事業を行えたことに深く感謝申し上げます。

Adios Argentina 3 日本大使館

 

ミルタさんのマンションからタクシーで飛ばして日本大使館に行く予定でしたが、今回の旅行で一番のピンチが訪れました。タクシーで案内されたビルは日本大使館が入っているビルではなかったのです。いくら探しても中高校生はもとより日本人の姿も見当たりません。直感でここは違うと思い、聞いたところここは違うビルだと教えられました。これでは完全に間に合わないと思っていましたら、案内するからついて来いと言うのです。なんと日本大使館のビルは隣のビルだったのです。何とか間に合い中に入るとオレンジの法被を着た福島県人会の皆さんが歓迎をしてくれました。

日本大使館では福嶌教輝特命全権大使を表敬訪問をして現在の福島の現況を説明をしました。県人会の皆さんは故郷を思う気持ちが強く、特に川俣出身の親がいる方は震災後8年が過ぎた川俣の様子に耳を傾けておりました。福嶌大使との懇談では、団員が一人一人視察の感想を発表し、本場アルゼンチンコスキン市での経験をぜひ川俣で活かしたいと力強く話をしました。

以上で今回アルゼンチン視察のすべてのミッションを終了しました。

 

Adios Argentina 2 ミルタ・アルバレス

 

今年の日本代表であるリオ・デル・ボスケの清水さんは昨年12月からブエノス・アイレスに滞在していました。そのころから、ぜひ紹介したいギターリストがいるのでブエノスに来たら連絡をくださいと、打ち合わせをしており、昼食を早めに切り上げ、ミルタ・アルバレスさんの自宅を訪れました。ミルタさんの演奏を聴いたら、清水さんが紹介したいと言うのが納得できる素晴らしいギターテクニックです。魔法のような指の動きに圧倒されながら聴いておりました。ミルタさんは今年6月に、イタリア・フランス等のヨーロッパツアーを行う予定だそうです。日本の文化にも興味があり墨絵もしているほどです。来年日本に行きたいと話しておりました。

Adios Argentina 1 ブエノスアイレス

 

 

 

 

 

 

いよいよ旅も最終日。朝5時にホテル プエルタ デル ソルを出発してコルドバ バハス ブランカス空港からホテルニューベリー空港へ。出口のところで、なんと昨年コスキン・エン・ハポンのゲストだったラウル・オラルテ氏と福島県人会の七海氏が出迎えに来てくれた。今回の旅行で、初めての観光をブエノス・アイレスで行いました。5月広場にある、メトロポリタン大聖堂と大統領府。メトロポリタン大聖堂にはサン・マルティン将軍の像がありました。アルゼンチンをスペインから独立させた英雄です。そういえばコスキン市でもあちらこちらにサン・マルティンの名前が付いた通りや広場があったのを思い出しました。

オラルテさんとはバスの中で、今年のコスキン・エン・ハポン出演のオファーを頂きました。今年もコスキン・エン・ハポンであの素晴らしいケーナの音色が聴く事が出来ます。

怒涛のコスキン編 12 ステージへ

 

ついにコスキン市での最後のミッションになりました。当初、中高校生はメインステージには上がれないと連絡を受けていたので、子供たちはステージ袖に待機予定でした。ところが、ガブリエル氏の計らいで中高校生もメインステージに上がれることになり、アルゼンチン国旗を買いに売っている店を探しました。子供たちは急きょ浴衣に着替えステージに向かったのです。

ステージ上では、佐藤金正町長がガブリエル・ムッソ市長に町の文化発展に対する感謝状を渡し、市長からコスキンフェスティバルオリジナルポンチョを受け取り、返礼として日本のポンチョでもある、法被をプレゼントをして10000人の大観衆の前で友好の絆を深めました。

 

たった4日間のコスキン市滞在でしたが、目まぐるしく変わる予定の変更にも対応して、すべての任務をこなし多くの友人とも再会が出来たことに心より感謝申し上げます。

怒涛のコスキン編 完

怒涛のコスキン編 11 ホアキンさん

 

コルドバ州在住のホアキンさんとの出会いは、一昨年コスキン・エン・ハポンが終わった後、仙台の植松さんから、コルドバからミュージシャンが来るのでボンボのワークショップを川俣でしませんかと電話を頂いた時からでした。川俣でお会いしたらとても親日家で日本の文化や食にも興味があるとの事です。日本語も勉強しており会話には不自由を感じませんでした。そのホアキンさんが奥さんのエリザベスさんとルルちゃんを連れてホテルに会いに来てくれました。相変わらず日本が好きでお土産に持って行った日本茶や柿の種のせんべいをとても喜んでくれたのです。娘のルルちゃんが12歳との事で中学生を呼んで、トランプをしたりじゃんけんをしてコミュニケーションを図り、今度は日本で会いましょうと約束を交わしました。

 

こんなところでVIVA動画(ホアキン家族)