コスキン市2日目、ここから正式なミッションが始まります。まずはガブリエル・ホセ・ムッソ市長への表敬訪問。フェスティバル会場隣にある、メディアプレスセンターには大勢のメディアが集まっていました。市長に表敬訪問の予定でしたが、これから私たちを歓迎にファン・スキャレッティ コルドバ州知事が来るとの情報が入り、ほどなくして専用ヘリコプターで会場に到着しました。コスキン市関係者、メディア関係者が総立ちして歓迎の拍手で迎えます。私たちも予定意外でしたので、驚きながら感謝の意を表しました。
コルドバ州知事が退場してようやくムッソ市長との歓迎式が始まりました。佐藤川俣町長が、毎年日本代表を受け入れてくるることに感謝し、これからも川俣町とコスキン市の友好の絆を深くして長く交流をしたいと挨拶をしました。また高校生の代表が川俣町の復興の状況を説明して、フェスティバルを楽しんで多くのことを学びたいと伝えました。
会場にはメーンスポンサーbancorのキャンペーンクルーがおそろいのユニフォームで花を添えます。
こんなところでVIVA動画(キャンペーンクルー)
https://www.youtube.com/watch?v=kOvWSppYZ6k
ホテル到着後、1時間ほど休憩をして早速音楽祭会場へ視察に出かけました。ホテルから会場まではサン・マルティン通りを3区画ほど行ったところ、歩いて5・6分の大変近い距離です。まだ、音楽祭2日前とあり人通りはまばらでした。ただ、スタジアムゲートには今回のメーンスポンサーであるコルドバ銀行の「bancor」の文字が掲げられ、否応が無しにムードが盛り上がります。
また、会場前の広場にはアルゼンチンの有名なスターの像があり観光客が写真を撮っておりました。近くにはお土産売り場があり、子供たちは日本ではないような商品を手に取り興味深く値段や使用法を聞いていました。これから4日間でお土産を買いに、このサン・マルティン通りを何回往復したかと思うほど、道の両脇にはお土産屋が多くあるのです。
広すぎるスタジアムを1周していると同じく回っている家族連れがいました。声をかけたらコルドバからフェスティバルを見に来たとの事。年を聞いたら16歳と言うので、高校生を呼んで早速VIVA動画を撮影しました。
こんなところでVIVA動画(会場周辺)
https://www.youtube.com/watch?v=JuGYqUV3k0I
コスキン一日目のディナーは、エンパナーダと牛肉のアルゼンチンならではの料理でした。
いよいよ、コルドバ・バハス・ブランカス空港からコスキン市に向けて専用バスで約2時間、最後の移動です。コルドバはアルゼンチン第2の都市、あちらこちらで道路工事をしておりました。聞くところによると、高速道路ではなくバイパスを作っているとの事です。第2の都市と言ってもアルゼンチンの人口の半分はブエノスアイレスに住んでいるので、コルドバはちょっとした地方都市のイメージです。
コルドバからコスキンに向かう途中に人工の湖があります。コルドバの観光名所でもあり、多くの車がいたるところに停車しておりました。14年前と変わりないと思っていたら、かなり高いところに橋を建設中でした。橋が出来ればこの憩いの湖畔は通らなくなると思うと多少さびしい思いです。その後コスキン川を通ってついにコスキン市に到着しました。
ホテル プエルタ・デル・ソルに着いたのは午後4時、川俣を出発してなんと42時間かかりました。
遠くても心の一番近い国 (コルドバ編)完
1月23日~30日まで川俣町コスキンフェスティバル派遣団で、アルゼンチンコスキン市に行ってきました。その時のレポートをブログにて掲載しております。
ブエノスアイレスの国内線ホルヘニューベリー空港での待ち時間3時間の間にうれしい出来事がありました。お昼にお弁当が出たのです。いなり・のり巻き・しゃけが入っている弁当です。
さすがに国内線は落ち着いた雰囲気で気持ちもホッとします。私たちの近くに二人連れの女性がいましたので、得意のコミュニケーションでアルゼンチン人だということを確認して動画撮影をお願いしました。二人ともコルドバに行きますが、コスキン音楽祭が目的ではないようです。
1時間30分のフライトでいよいよコルドバに到着です。空港にはガブリエルさん夫婦、比嘉さん、玉城さんがお出迎えをしてくれ、私たちを歓迎してくれました。玉城さんはコルドバの日系人会の会長をしていた方で14年前にもお会いしていたのです。14年も過ぎるとさすがにお年が召した感じです。水溜侃さん、比嘉さん、玉城さんは日系人の方々を面倒を見て大変尽力を尽くした方たちです。日本代表がコスキンに出演するとき必ず水溜さんのガーデンに集まりパーティを開いてくれました。
こんなところでVIVA動画 (ホルヘニューベリー空港)
ダラス・フォートワース国際空港での待ち時間やく4時間30分はあっという間に過ぎた感じでした。顔を洗ったり歯磨きをしたり、空港内でのショッピング。まだまだ中高校生の若者は元気です。ダラス・フォートワース国際空港を現地時間19時20分発アメリカン・エアー・ライン997便でいよいよブエノスアイレスに向けてのフライトが始まりました。ブエノスアイレス着が現地時間の午前8時50分。この時間に合わせて飛行時間約10時間30分のフライトで最後の時差調整をしたのです。とにかく熟睡をして目が覚めたら朝になっていたと体に思わせるためにひたすら眠るつもりでしたが、やはり狭い座席のため4時間ほど熟睡しました。
機内食で頼んだのはチキンでした。鶏肉の他ジャガイモをつぶして丸くしたようなものと人参湯の温野菜。パン、クッキーと昨日よりもまずい!成田発の機内食とは雲泥の差でした。ブエノス到着間近にシナモンパンとブルーベリーヨーグルト。
そしていよいよブエノスアイレスのエセイサ国際空港に到着しました。そこから国内線のホルヘ・ニューベリー空港へトランクをもって歩いて移動です。もうそこは灼熱の太陽が照らしている真夏の地でした。
1月23日出発式の後、午前10時いよいよこの旅の幕が開きました。そしてこの時に最後のミッションを言い渡され「VIVA動画を撮ってこい」とのことでした。バスの中では元気な中高校生ですが、この時点ではこれから味わう地獄の苦痛は知る由もなかったのです。
15時に予定通り、成田空港第2ターミナル3階Dカウンターに着き添乗員の話を聞いていると、こちらを見ている男性がおります。よく見ると蛇腹隊のメンバー島津氏だったのです。その後、またしても偶然に駐日アルゼンチン大使館のアラン・ベロー大使とイバン・ダ・ボンテ書記官と出会い、これからアルゼンチンに行くことを報告しました。
そしていよいよ、18時20分発のアメリカン・エアー・ライン060便で成田空港からダラスフォートワース空港へ出発したのです。ダラス・フォートワース空港までの飛行時間11時間35分、初めに出た機内食はポークの焼肉、ポテトサラダ、野菜サラダ、パン、デザートとまあまあおいしく食べ快適な空の旅だったはずでしたが、座席が狭いうえ身動きが取れずほとんど眠れないでダラスに着きました。写真はダラス空港24番ゲート前です。
今回のミッションは1.コスキン市長への表敬訪問 2.サブステージでの演奏 3.オープニングパレードへの参加 4.現地子供たちとの文化交流 5.メインステージでの感謝状の贈呈 6.在アルゼンチン日本大使館表敬訪問 このミッションを4日間で行うと言うスケジュール的にかなり強硬な派遣事業でした。
それに先駆けて、昨年11月から2か月にわたり子供たちを中心にスペイン語の勉強並びに歌を入れた演奏の練習をして、決して遊びに行くのではないことを心に銘じて事前研修を行ってきました。その他、日本の文化を伝える文化交流グループ、アルゼンチンの食べ物を調査する食文化グループ、ものの値段を調べる物価調査グループ、コスキンのステージ並びに音楽性を研究する音楽研究グループに分けての目的意識を持たせたのです。
そして、出発1週間前の15日にコスキンフェスティバル派遣事業派遣団結団式を行いました。