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怒涛のコスキン編 11 ホアキンさん

 

コルドバ州在住のホアキンさんとの出会いは、一昨年コスキン・エン・ハポンが終わった後、仙台の植松さんから、コルドバからミュージシャンが来るのでボンボのワークショップを川俣でしませんかと電話を頂いた時からでした。川俣でお会いしたらとても親日家で日本の文化や食にも興味があるとの事です。日本語も勉強しており会話には不自由を感じませんでした。そのホアキンさんが奥さんのエリザベスさんとルルちゃんを連れてホテルに会いに来てくれました。相変わらず日本が好きでお土産に持って行った日本茶や柿の種のせんべいをとても喜んでくれたのです。娘のルルちゃんが12歳との事で中学生を呼んで、トランプをしたりじゃんけんをしてコミュニケーションを図り、今度は日本で会いましょうと約束を交わしました。

 

こんなところでVIVA動画(ホアキン家族)

https://www.youtube.com/watch?v=TukPQFuikYM

 

怒涛のコスキン編 10 文化交流

 

「アンドレ・シマ病院」肺結核を患った患者を診療した病院で、現地の子供たちとの交流が始まりました。日本の文化を紹介したのは、折り紙と福笑い。現地の子供たちに丁寧に弦のおり方を教え、はじめ方固かった表情が少しづつ和んでゆき、言葉の壁を通り越した瞬間でした。続いて日本のお正月に行われる福笑いです。これは、言葉での交流が出来る遊びです。日本にいる時に習った、Ojos(目)、Nariz(鼻)、Boca(口)とスペイン語で話しながら説明をしました。簡単なゲームなので、アルゼンチンの子供たちもみんなやりたくてしょうがないようです。このゲームでもう心が通じ合い、あっという間に友達になりました。その後、外に出て現地の子供たちがスチールドラムの演奏をしてくれ、日本の子供たちにたたき方とリズムを教えます。子供同士の文化交流は国境を越えてかけがえのない貴重な時間でした。

 

こんなところでVIVA動画(子供たちと)

https://www.youtube.com/watch?v=4RXZdx7iwfY

 

怒涛のコスキン編 9 墓参り

 

ついに、コスキン滞在最後の日です。コスキン市の子供たちとの交流を前に、近くにある日系人が眠る共同墓地をを訪れました。身寄りのない日系人が亡くなった時にお墓がないとの事で、水溜侃さんや玉城さん、比嘉さんたちがお墓を整備してきました。2011年の日本代表になった「ロス・ミドラス」のメンバーもこの地を訪れ、墓石がないのでメンバーの一人、伏見信壱さんが墓石を寄付したそうです。ところが、その後東日本大震災があり日本から輸出したもののどこにあるかわからない状態でした。数年かけて、日本大使館やアルゼンチン政府の協力でようやくコスキン市に届いたそうです。

アルゼンチンでは寄付をした人の名前を前に大きく書きますが、この墓石は後ろの見えないところに伏見さんの名前が書いてあり、これが本当の日本人の真心なんだと感激しておりました。また、隣には水溜家のお墓があり今まで大変お世話になった侃さんとパトリシアさんにお礼を言ってきました。

日本代表になった「ロス・ミドラス」の素晴らしい功績だと思います。

怒涛のコスキン編 8 フェスティバル開催

 

夜10時、教会の鐘が鳴り響きました。鐘の音が終わると同時にステージの後ろからおびただしい数の花火が打ち上げられます。観客席は10000人以上の人が入り大歓声が上がりいよいよフェスティバルの開幕です。初めにオープニングのHimno a Cosquinの踊りが入れ代わり立ち代わり100人ほどの人たちが交代でステージに上がってきました。さすが本場のフェスティバルの規模に感激をしながらオープニングを見ておりました。

オープニングの後にメルセデス・ソーサのオマージュから入りました。ペティコ・カラバハル、エレディア・ビクトリア、リリアナ・ヘレロと言う超一流の歌手達がバックにいる大合唱団とともに、メルセデス・ソーサの曲を思いを込めて歌います。約1時間と言う長時間にわたってソーサの賛歌が続きました。

 

 

怒涛のコスキン編 7 humita(ウミータ)

 

フェスティバル開催初日と2日目の夜に、コスキン市長主催のウエルカムディナーに招待されました。場所はフェスティバル会場の中にあるVIP専用レストランです。メーンは牛肉のアサードで骨付きのかなり大きなステーキでした。アルゼンチンは牛肉がかなり安く、年間一人当たりの消費量が63キロも食べるそうです。チキンを合わせるとなんと100キロ消費するから驚きです。だから中年のおばさん、おじさんは太り気味の人が多いのではないでしょうか。

その中で面白いものが出てきました。humita ウミータと言って、トウモロコシを荒く削って、玉ねぎやパプリカを入れてとうもろこしの皮に包んで蒸すのです。アルゼンチンばかりではなく他の南米の国にもあるとの事ですが、日本にもちまきと言って笹の葉に包んだもち米を蒸して食べるものや、中国にも中華ちまきと言うものがあります。何かの皮に包んで蒸すという共通な食文化を感じました。

怒涛のコスキン編 6 パレード

 

 

午後6時待ちに待ったパレードです。女の子はお母さんたちに一人一人浴衣を着せてもらい、日本の民族衣装を身に着け出発地点のサン・マルティン広場へ向かいます。途中に行く先々で「una foto por favor」写真を撮らせて欲しいとお願いされます。あでやかな浴衣姿にアルゼンチンの人たちは興味津々。たぶん初めて見る日本の民族衣装でしょう。私たちも改めて日本の伝統文化の素晴らしさを思い知る事が出来ました。

COSQUINの文字を挟んで日本の国旗とアルゼンチンの国旗を持ちながら中学生が整列します。COSQUINが日本とアルゼンチンの縁を深く結んでくれたとの思いでパレードに参加しました。佐藤川俣町長はガブリエル・ムッソ市長と一緒にスタート前の演台の上で手を振っています。約600mの道の両側には溢れんばかりの人垣が出来、ハポン・ハポンの大合唱とカワマタ・カワマタの大歓声。Carnavalito Quebradenoの曲を演奏しながら歩くとその曲に合わせて手拍子をしたり歌をうたって喜びを表現している大勢の見物人。なんと2時間をかけて約130団体が次々とパレードをしました。

 

こんなところでVIVA動画(会場にいた女性SPです)

https://www.youtube.com/watch?v=3AdFoWSxF_8

こんなところでVIVA動画(パレードに参加する団体)

https://www.youtube.com/watch?v=1y2IbXEWyR4

 

 

怒涛のコスキン編 5 ファン・カルロス・カラバハル

 

買い物を終えてホテルに戻ると素晴らしい友がロビーで待っておりました。ファン・カルロスの息子Fabioだったのです。ファン・カルロス・カラバハル、言わずと知れたチャカレーラの大御所です。アルゼンチンではかなり有名な歌手でもあります。彼とのつながりは、故瀬賀倫夫さんとサンティアゴ・デ・エステーロで運命的な出会いから始まります。その後、2001年に来日してコスキン・エン・ハポンに出演して、日本で初めて本格的なチャカレーラの演奏を披露しました。

話をしていると、なんとファン・カルロスも来ているとの事。500キロも離れているサンティエゴ・デル・エスティエロからわざわざ会いに来てくれたのです。今は心臓の病気を患い体調がすぐれないですが彼の日本への思いは変わりません。一番初めのことばは、shikoは来ないのか?でした。あの当時小学3年生でサンポーニャを吹いていたshikoを覚えていました。その後、Ogawa Kimijoは元気か?Tadaは?Kobayasi Tieiはどうしている?と懐かしそうに次々と名前を出しました。本当ならマテ茶でも飲みながら、もっともっと話をしたかったのですが残念でなりません。でも会う事が出来て、ただただ感謝です。

 

こんなところでVIVA動画(ファン・カルロス)

https://www.youtube.com/watch?v=TXop1wX7kc4

 

 

 

怒涛のコスキン編 5  サブステージ

 

 

 

 

 

 

さていよいよ、サブステージペーニャでの演奏です。メインステージには18歳未満は演奏できないためサブステージでの演奏をお願いしておりました。ところがなかなか決まらず、水溜さんがなんとかペーニャでの演奏を取り入れてくれました。その場所が、第2の会場ともいえる「ペーニャ・デ・Cosquin」と言う素晴らしい場所での演奏です。その場所は、アルゼンチン各州からいろいろなお土産を販売するために集まるテント村の近く。テント内ではいろいろな業者が出店し、外では多くの方が演奏をしています。その一角ではボンボ教室のようなワークショップもしておりました。

9時からの演奏予定でしたが、やはり遅れ10時過ぎにあの「Himno a cosquin」が流れ司会者が紹介します。「Deregsion Japon」全く本ステージと同じ流れです。川俣の子供たちの演奏がコスキンにこだました瞬間でした。この日は明日から始まるフェスティバルの前夜祭なので、あちらこちらの州から演奏に来ておりました。私たちの後は、フフイ州から来た民族演奏と踊りです。アルプスホルンのような長い楽器を吹きながら踊るとても素晴らしい演奏でした。

 

 

怒涛のコスキン編 4 レストランにて

 

南米の国々は時間がゆっくりと流れるとは聞いていましたが、予定はあって無いようなものです。ガブリエル・ムッソ市長との面会も当初の予定は15分でした。15分であいさつをしてプレゼントを渡して、手際よくしないとかなり時間がないという気持ちでおりましたが、州知事が来て時間が大幅に遅れその上、市長ともたっぷり時間を取っていただきました。その分昼食も1時間以上遅れてしまいました。レストランはサン・マルティン通りにあるおしゃれなレストランです。メーンのチキンはボリュームがあり、柔らかく塩コショウで味付けてありとてもおいしかったです。デザートは見た目はパウンドケーキ。周りにナッツがちりばまれてとてもおしゃれなアイスクリームですが、なにぶん甘すぎです。その甘さが日本のような上品な甘さではなくただただ甘いの一言です。

食事をしていますと私たちを見てJaponと話しかけてくる方がおりました。話を聞いてみますと水溜さんの知り合いだったのです。さっそく中学生と一緒に動画を撮りました。

こんなところでVIVA動画(レストラン)

https://www.youtube.com/watch?v=6VoX8zh0yn0

 

 

 

怒涛のコスキン編 3 会場案内

 

表敬訪問後会場を案内していただきました。フェスティバルを明日に控え最後の準備に取り掛かっております。椅子の数は9800あり、立ち見の人を入れると10000人を超す人で埋め尽くします。2階の席はコスキンのロゴマークになっておりました。夜10時になりますと後ろにある教会の鐘が鳴り色とりどりの花火が会場後ろから打ちあがります。そして、Aqui Cosquinのことばで開演するのです。

会場の上には数えきれないほどのスポットライトが並んでいます。ターンテーブルの回転も順調に回り開幕を待つ準備が整いました。ステージの下に行くと、小部屋がたくさんあり、出演者の控室になっております。その下は大人数の控室になっており、それだけでもフェスティバルの規模の大きさを実感しました。

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