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怒涛のコスキン編 6 パレード

 

 

午後6時待ちに待ったパレードです。女の子はお母さんたちに一人一人浴衣を着せてもらい、日本の民族衣装を身に着け出発地点のサン・マルティン広場へ向かいます。途中に行く先々で「una foto por favor」写真を撮らせて欲しいとお願いされます。あでやかな浴衣姿にアルゼンチンの人たちは興味津々。たぶん初めて見る日本の民族衣装でしょう。私たちも改めて日本の伝統文化の素晴らしさを思い知る事が出来ました。

COSQUINの文字を挟んで日本の国旗とアルゼンチンの国旗を持ちながら中学生が整列します。COSQUINが日本とアルゼンチンの縁を深く結んでくれたとの思いでパレードに参加しました。佐藤川俣町長はガブリエル・ムッソ市長と一緒にスタート前の演台の上で手を振っています。約600mの道の両側には溢れんばかりの人垣が出来、ハポン・ハポンの大合唱とカワマタ・カワマタの大歓声。Carnavalito Quebradenoの曲を演奏しながら歩くとその曲に合わせて手拍子をしたり歌をうたって喜びを表現している大勢の見物人。なんと2時間をかけて約130団体が次々とパレードをしました。

 

こんなところでVIVA動画(会場にいた女性SPです)

https://www.youtube.com/watch?v=3AdFoWSxF_8

こんなところでVIVA動画(パレードに参加する団体)

https://www.youtube.com/watch?v=1y2IbXEWyR4

 

 

怒涛のコスキン編 5 ファン・カルロス・カラバハル

 

買い物を終えてホテルに戻ると素晴らしい友がロビーで待っておりました。ファン・カルロスの息子Fabioだったのです。ファン・カルロス・カラバハル、言わずと知れたチャカレーラの大御所です。アルゼンチンではかなり有名な歌手でもあります。彼とのつながりは、故瀬賀倫夫さんとサンティアゴ・デ・エステーロで運命的な出会いから始まります。その後、2001年に来日してコスキン・エン・ハポンに出演して、日本で初めて本格的なチャカレーラの演奏を披露しました。

話をしていると、なんとファン・カルロスも来ているとの事。500キロも離れているサンティエゴ・デル・エスティエロからわざわざ会いに来てくれたのです。今は心臓の病気を患い体調がすぐれないですが彼の日本への思いは変わりません。一番初めのことばは、shikoは来ないのか?でした。あの当時小学3年生でサンポーニャを吹いていたshikoを覚えていました。その後、Ogawa Kimijoは元気か?Tadaは?Kobayasi Tieiはどうしている?と懐かしそうに次々と名前を出しました。本当ならマテ茶でも飲みながら、もっともっと話をしたかったのですが残念でなりません。でも会う事が出来て、ただただ感謝です。

 

こんなところでVIVA動画(ファン・カルロス)

https://www.youtube.com/watch?v=TXop1wX7kc4

 

 

 

怒涛のコスキン編 5  サブステージ

 

 

 

 

 

 

さていよいよ、サブステージペーニャでの演奏です。メインステージには18歳未満は演奏できないためサブステージでの演奏をお願いしておりました。ところがなかなか決まらず、水溜さんがなんとかペーニャでの演奏を取り入れてくれました。その場所が、第2の会場ともいえる「ペーニャ・デ・Cosquin」と言う素晴らしい場所での演奏です。その場所は、アルゼンチン各州からいろいろなお土産を販売するために集まるテント村の近く。テント内ではいろいろな業者が出店し、外では多くの方が演奏をしています。その一角ではボンボ教室のようなワークショップもしておりました。

9時からの演奏予定でしたが、やはり遅れ10時過ぎにあの「Himno a cosquin」が流れ司会者が紹介します。「Deregsion Japon」全く本ステージと同じ流れです。川俣の子供たちの演奏がコスキンにこだました瞬間でした。この日は明日から始まるフェスティバルの前夜祭なので、あちらこちらの州から演奏に来ておりました。私たちの後は、フフイ州から来た民族演奏と踊りです。アルプスホルンのような長い楽器を吹きながら踊るとても素晴らしい演奏でした。

 

 

怒涛のコスキン編 4 レストランにて

 

南米の国々は時間がゆっくりと流れるとは聞いていましたが、予定はあって無いようなものです。ガブリエル・ムッソ市長との面会も当初の予定は15分でした。15分であいさつをしてプレゼントを渡して、手際よくしないとかなり時間がないという気持ちでおりましたが、州知事が来て時間が大幅に遅れその上、市長ともたっぷり時間を取っていただきました。その分昼食も1時間以上遅れてしまいました。レストランはサン・マルティン通りにあるおしゃれなレストランです。メーンのチキンはボリュームがあり、柔らかく塩コショウで味付けてありとてもおいしかったです。デザートは見た目はパウンドケーキ。周りにナッツがちりばまれてとてもおしゃれなアイスクリームですが、なにぶん甘すぎです。その甘さが日本のような上品な甘さではなくただただ甘いの一言です。

食事をしていますと私たちを見てJaponと話しかけてくる方がおりました。話を聞いてみますと水溜さんの知り合いだったのです。さっそく中学生と一緒に動画を撮りました。

こんなところでVIVA動画(レストラン)

https://www.youtube.com/watch?v=6VoX8zh0yn0

 

 

 

怒涛のコスキン編 3 会場案内

 

表敬訪問後会場を案内していただきました。フェスティバルを明日に控え最後の準備に取り掛かっております。椅子の数は9800あり、立ち見の人を入れると10000人を超す人で埋め尽くします。2階の席はコスキンのロゴマークになっておりました。夜10時になりますと後ろにある教会の鐘が鳴り色とりどりの花火が会場後ろから打ちあがります。そして、Aqui Cosquinのことばで開演するのです。

会場の上には数えきれないほどのスポットライトが並んでいます。ターンテーブルの回転も順調に回り開幕を待つ準備が整いました。ステージの下に行くと、小部屋がたくさんあり、出演者の控室になっております。その下は大人数の控室になっており、それだけでもフェスティバルの規模の大きさを実感しました。

怒涛のコスキン編 2 市長訪問

 

コスキン市2日目、ここから正式なミッションが始まります。まずはガブリエル・ホセ・ムッソ市長への表敬訪問。フェスティバル会場隣にある、メディアプレスセンターには大勢のメディアが集まっていました。市長に表敬訪問の予定でしたが、これから私たちを歓迎にファン・スキャレッティ コルドバ州知事が来るとの情報が入り、ほどなくして専用ヘリコプターで会場に到着しました。コスキン市関係者、メディア関係者が総立ちして歓迎の拍手で迎えます。私たちも予定意外でしたので、驚きながら感謝の意を表しました。

コルドバ州知事が退場してようやくムッソ市長との歓迎式が始まりました。佐藤川俣町長が、毎年日本代表を受け入れてくるることに感謝し、これからも川俣町とコスキン市の友好の絆を深くして長く交流をしたいと挨拶をしました。また高校生の代表が川俣町の復興の状況を説明して、フェスティバルを楽しんで多くのことを学びたいと伝えました。

 

会場にはメーンスポンサーbancorのキャンペーンクルーがおそろいのユニフォームで花を添えます。

こんなところでVIVA動画(キャンペーンクルー)

https://www.youtube.com/watch?v=kOvWSppYZ6k

 

 

 

怒涛のコスキン編 1 会場近辺

 

 

ホテル到着後、1時間ほど休憩をして早速音楽祭会場へ視察に出かけました。ホテルから会場まではサン・マルティン通りを3区画ほど行ったところ、歩いて5・6分の大変近い距離です。まだ、音楽祭2日前とあり人通りはまばらでした。ただ、スタジアムゲートには今回のメーンスポンサーであるコルドバ銀行の「bancor」の文字が掲げられ、否応が無しにムードが盛り上がります。

また、会場前の広場にはアルゼンチンの有名なスターの像があり観光客が写真を撮っておりました。近くにはお土産売り場があり、子供たちは日本ではないような商品を手に取り興味深く値段や使用法を聞いていました。これから4日間でお土産を買いに、このサン・マルティン通りを何回往復したかと思うほど、道の両脇にはお土産屋が多くあるのです。

 

広すぎるスタジアムを1周していると同じく回っている家族連れがいました。声をかけたらコルドバからフェスティバルを見に来たとの事。年を聞いたら16歳と言うので、高校生を呼んで早速VIVA動画を撮影しました。

こんなところでVIVA動画(会場周辺)

https://www.youtube.com/watch?v=JuGYqUV3k0I

 

 

コスキン一日目のディナーは、エンパナーダと牛肉のアルゼンチンならではの料理でした。

遠くても心の一番近い国へ 5 ついにコスキン市

 

いよいよ、コルドバ・バハス・ブランカス空港からコスキン市に向けて専用バスで約2時間、最後の移動です。コルドバはアルゼンチン第2の都市、あちらこちらで道路工事をしておりました。聞くところによると、高速道路ではなくバイパスを作っているとの事です。第2の都市と言ってもアルゼンチンの人口の半分はブエノスアイレスに住んでいるので、コルドバはちょっとした地方都市のイメージです。

コルドバからコスキンに向かう途中に人工の湖があります。コルドバの観光名所でもあり、多くの車がいたるところに停車しておりました。14年前と変わりないと思っていたら、かなり高いところに橋を建設中でした。橋が出来ればこの憩いの湖畔は通らなくなると思うと多少さびしい思いです。その後コスキン川を通ってついにコスキン市に到着しました。

ホテル プエルタ・デル・ソルに着いたのは午後4時、川俣を出発してなんと42時間かかりました。

 

遠くても心の一番近い国 (コルドバ編)完

 

 

 

 

遠くても心の一番近い国へ 4 いよいよコルドバへ

 

 

ブエノスアイレスの国内線ホルヘニューベリー空港での待ち時間3時間の間にうれしい出来事がありました。お昼にお弁当が出たのです。いなり・のり巻き・しゃけが入っている弁当です。

さすがに国内線は落ち着いた雰囲気で気持ちもホッとします。私たちの近くに二人連れの女性がいましたので、得意のコミュニケーションでアルゼンチン人だということを確認して動画撮影をお願いしました。二人ともコルドバに行きますが、コスキン音楽祭が目的ではないようです。

1時間30分のフライトでいよいよコルドバに到着です。空港にはガブリエルさん夫婦、比嘉さん、玉城さんがお出迎えをしてくれ、私たちを歓迎してくれました。玉城さんはコルドバの日系人会の会長をしていた方で14年前にもお会いしていたのです。14年も過ぎるとさすがにお年が召した感じです。水溜侃さん、比嘉さん、玉城さんは日系人の方々を面倒を見て大変尽力を尽くした方たちです。日本代表がコスキンに出演するとき必ず水溜さんのガーデンに集まりパーティを開いてくれました。

 

こんなところでVIVA動画 (ホルヘニューベリー空港)

https://www.youtube.com/watch?v=OJpeUQcREnM

 

 

遠くても心の一番近い国へ 3 アルゼンチン入国

 

ダラス・フォートワース国際空港での待ち時間やく4時間30分はあっという間に過ぎた感じでした。顔を洗ったり歯磨きをしたり、空港内でのショッピング。まだまだ中高校生の若者は元気です。ダラス・フォートワース国際空港を現地時間19時20分発アメリカン・エアー・ライン997便でいよいよブエノスアイレスに向けてのフライトが始まりました。ブエノスアイレス着が現地時間の午前8時50分。この時間に合わせて飛行時間約10時間30分のフライトで最後の時差調整をしたのです。とにかく熟睡をして目が覚めたら朝になっていたと体に思わせるためにひたすら眠るつもりでしたが、やはり狭い座席のため4時間ほど熟睡しました。

機内食で頼んだのはチキンでした。鶏肉の他ジャガイモをつぶして丸くしたようなものと人参湯の温野菜。パン、クッキーと昨日よりもまずい!成田発の機内食とは雲泥の差でした。ブエノス到着間近にシナモンパンとブルーベリーヨーグルト。

そしていよいよブエノスアイレスのエセイサ国際空港に到着しました。そこから国内線のホルヘ・ニューベリー空港へトランクをもって歩いて移動です。もうそこは灼熱の太陽が照らしている真夏の地でした。

 

 

 

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