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長沼氏お別れの会

コスキン創始者である長沼康光氏のお別れの会を開催いたしました。

長沼氏は音楽一筋の人生でした。音楽のルーツはお兄さんがいた川俣座という映画館でレコードをかけていたことだと聞いております。その後クラッシックを聞くようになり、川俣町で初めて弦楽四重奏の楽団を作ったのです。それから、子供たちにヴァイオリンやチェロを指導して1956年交響楽団、サールド・コンセールを結成しました。川俣町の音楽による文化が芽を出した時期だと思います。音楽会館を作り、合唱の好きな人を集め合唱団を構成したり、レディースギターアンサンブルのグループを作り演奏活動を活発に行い、音楽に明け暮れておりました。好きな音楽の中にアルゼンチンタンゴがありました。レコード観賞会を開き聞く音楽でしたが、昭和48年東出五国氏によりはじめて川俣にケーナという音色が入ってきて、聞く音楽から奏でる音楽に代わりました。そして、その2年後昭和50年にコスキン・エン・ハポンが開催されたのです。年々参加者が増え続け、今では3日間約200グループが川俣に集うようになりました。長沼氏は信念を通しますので、いろいろなところで意見の相違がありぶつかりました。しかし、コスキン・エン・ハポンがここまで大きくなったのは長沼氏の功績であり、川俣町に音楽の文化が根付いたことに深く感謝いたします。そしてこれからも、この音楽文化を連綿として続けていく所存でございます。お別れの会では、長沼先生の教え子だった日フィルチェリストの奈切さんはじめ、レディースギターアンサンブルの皆さん、関東からお越の皆さん、元アミーゴ・デ・川俣の皆さんたちによる音楽葬でおくりました。

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